2013年09月10日

【自己紹介】青年期のぼっち君

 小学卒業と同時に母と私と妹は、母方の実家で生活するようになりました。あの家があった土地よりも遥かに田舎です。どのくらい田舎かというと半径五キロ以内に店が無いくらいの田舎です。友達は、最初はいませんでしたが、徐々に増えて、明るい中学生になりました。ダジャレが得意な中学生でした。作り笑いが得意な中学生でした。中学生の後は高校生をやりました。そこそこに楽しかったのを覚えています。

 中学高校を無難にこなし、とある地方の大学に進学しました。その地方を選んだ理由は二つありました。一つは東京には魔物が住んでいると信じていたから。もう一つは、そこが、かつて私が住んでいたあの場所に程近かったからです。大学生の私は、それなりに勉強もし、それなりに友達もでき、それなりにぐうたらでした。外にはあまり出歩かなかったです。私の友達連中は買った、否、買ってもらった車でいろいろ出かけたりしていました。当時心霊スポットを探索するのが流行っていました。誘われましたが私は車酔いが激しいからと言って断っていました。決して怖いとかそんな理由ではありません。

 私の主な移動手段は自転車でした。それは私が高校時代に使っていたハンドルがカマキリのような形をしていて通称カマチャリと呼ばれていた類の自転車でした。大学に入ってからも乗り続けました。いつでも一緒でした。ただ残念ながら、ハンドルの付け根がグラグラするし、ペダルを漕ぐとカチカチと音がするから、乗り心地は最悪でした。そんな可愛い相棒に名前をつけてやろうと思いました。ちょうど実家からメロンが送られてきましたよ。メロンの箱には”ホームランスター”と書いてありました。メロンの名前としてはどうかと思いますがなかなかパンチが利いているではありませんか。これこそ大好きな可愛い相棒にふさわしい名前だと思ってしまいました。

 ホームランスターに乗ってある場所へ出かけました。田舎の国道をとにかくまっすぐ進み、私もホームランスターも涙目になったころ、何も目印の無い、でも見覚えのあるところを左に曲がり、砂利道をホームランスターが悲鳴をあげながら駆け上がりました。ホームランスターが泣き止んだあたりでそれはありました。そうあったのです。すでに所有権はうちには無いことは知っていました。とっくの昔に取り壊されているものだと思い込んでいました。

 遠目からは昔と変わりないように見えましたが、ホームランスターをレンガ塀に寄りかからせ、歩み寄って見ると違いました。そのレンガ塀にはたくさんの落書きが寄せられていました。おそらく暴走族さんたちの仕業でしょうか。「○○連合参上!」、「△△殺す!」などの誰に伝えたいのか良く分からないメッセージや、ここには書けないような卑猥な言葉(ご想像にお任せしますが、ご想像頂いたら、だいたいそれで間違いありません)までありました。建屋の外壁にはところどころハンマーで殴ったかのようなヒビが入っていました。そのヒビは蜘蛛の巣のように見えました。窓は全部割られていて崩壊学校よろしくです。当然人が住んでいる気配はありません。玄関には扉がありません。その”玄関”から中に入ってみました。所有権はうちにはないので立派な不法侵入です。長い廊下はテレビゲームのように穴が空いていました。落ちてみたところで別世界に行けるわけでもないのだから、穴を避けて、部屋を見て回りました。

 見なければ良かった、というのが第一印象でした。かつて父母私妹が住んでいた面影はまるでありません。柔道場代わりの和室は、なぜか畳が全部はがされていて、隅に立てかけられていました。腐って変色した畳からは嫌な匂いがしそうでした。皆で過ごした居間は、茶一色でした。何もありませんでした。床もありませんでした。土台がむき出しで下には土が見えました。土から生える草さえも茶色く枯れていました。台所も似たようなものでした。ただ、ステンレスの流しが残っていたおかげで知らない人でもそこが台所であったと判断できるでしょう。階段にもところどころ穴が空いています。登ろうとしたのですが、危ないからやめて帰ることにしました。帰りはいつも以上にペダルの漕ぎ心地が悪かったです。

 きれいさっぱり取り壊されていたほうがまだ良かったです。ああいう風に中途半端な形で在るのは忍び無いと思いました。すべてが夢の跡と簡単に忘れられるでしょうか。私はあの家を少しでもいいから綺麗にしようと決めました。とにかくあの塀です。ここには書けないような、あんな言葉やこんな言葉が書かれている塀。もし母妹が見たらどれだけ落ち込むことか。まずは塀の落書きを消そうと決意しました。ちょっと考えて、消すのは大変だから上塗りして隠そうと妥協しました。ホームセンターで似たような色のペンキを買いました。

 次の日は授業そっちのけでホームランスターに乗ってあの家へ向かいました。塀は建屋をグルッと囲むようにあります。落書きは塀の外向き側と内向き側の両方に結構まんべんなくあります。落書きのある箇所を豪快にペンキで塗りつぶす。微妙な色の違いがあるため違和感は否めませんがまあいいでしょう。綺麗にして一体何になるのなんて聞かれたとしてもそんなの理屈じゃありませんと答えるしかなかったでしょう。朝から夕方までかかって忌まわしい落書きを全て消しました。人生で一番頑張りました。誰か褒めてください。やっぱりいいです。

 明日は何しよう。いちばん目障りな塀の落書きは消した。建屋を直そうか。ひとりじゃあ無理だな。友達を誘おうか。メロンが余っているな。メロンを餌に友達を釣るか。できる限り頑張ろう。いつか母妹に見せてやろう。そしたらどんな顔するだろう。

 メロン片手に友達の家に行きました。すると友達の彼女も居るではないですか。込み入った話はやめて、友達にギターを教えてもらうことにしました。相変わらずFのコードに苦戦します。涙目です。そんな私を慰めるかのように友達カップルは二人で行ったドライブの話をしてくれました。心霊スポットに行ったそうです。そこはお化けペンションと呼ばれ、地元では有名になりつつあるそうです。話はさらに進み、なんでもそこがテレビで紹介されたというのです。バラエティ番組の企画で、心霊能力者とタレントたちが、心霊スポットを探検するというものです。友達カップルは、その番組で、こんな風にレポートされていたと教えてくれました。
 目的地に向かう途中の森のざわめきに早くもおびえるタレントさん。
 塀と建屋の雰囲気が不気味という一同。
 「この家には悪霊が取り付いている」と能力者さん。
 畳の染みが心霊写真のように見えたとタレントさん。
 穴だらけの急な階段を登ったところで気分が悪くなり「ここから先は危険だ」と能力者さん。
 物音がして大慌てで外に出ようとして廊下の穴にはまるタレントさん。(友達カップルはここで”大爆笑”したそうです)
結局、その日もFのコードはまともに鳴りませんでした。技術の無さとかそんなのが理由です。明日は何しよう。

 私は社会人になりました。たまに実家に帰るとみんなで父に会いにいきます。父は二度と自力では立ち上がれない体になってしまいましたが、意識はハッキリしているし、私に会うと嬉しそうな顔をしてくれます。その顔色は私の青白いそれよりかは遥かに健康的です。父に会うと私の中の頑張り星がきらめくのですが、次の日には忘れてしまうのが私のいけないところです。

(おわり)



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2013年09月09日

【自己紹介】小学生のぼっち君2

 庭がありました。父は庭の手入れが好きでした。私が小四のころです。父はスコップで庭を掘り出しました。何しているのと聞くと池を作ると言うのです。私にも手伝えというので嫌だと言うのにやはりやらされました。私が一掘る間に父は十掘ります。時折妹もシャベルを持って参戦してきますがすぐに飽きてどこぞかへいってしまいます。私の筋肉が私の意思通りに動かなくなったころ父が「このくらいでいいか」と言いました。池に敷く石を拾いに車で三年に一度は氾濫が起こる川へやってきました。子供には石は重くて持てないので父が一人でやって、私と妹は浅瀬でばしゃばしゃとやっていました。車のトランクが一杯になるくらい石を詰めて帰りました。運転中、父が、重いなぁとぶつくさ文句を言います。自分でやったのにね。池に石を敷き詰めて一同「おお」となったころで入水です。水が一杯になったところで風流も何もありません。そこらの草を放り込みましたがまだいまいちです。父は私を連れて車でまた出かけす。鯉がたくさん泳いでいるお店に着きました。そこの主人は父の友達らしいです。父はハトヤのCMに出てくるような大きさの鯉を五匹、「千円で買ったぞ」と言いながら車に積みました。帰り際主人が迷惑そうな顔をしていたのを私は見逃しませんでした。鯉は狭い池に入れられて面白くなさそうに泳いでいました。

 田舎でしたが近くに他の人の家はありました。国道を挟んで向こう側にありました。学校の友達も住んでいました。友達の家に行くには国道を横切れば近いのですが、百メートルくらい先にある信号を渡らなければいけませんでした。母にそう誓約させられていたのです。おっくうで嫌でした。そこで仕方なく、私は家にいて、友達から遊びに来てもらうことが多かったです。友達は「この家、うちのほうの家とはなんか違うよね」とよく言っていたものです。その"なんか違う"を一番象徴していたのが、塀です。レンガの塀が家の周りをグルッと囲んでいたのです。私が小五のころできたものです。「百万円かかった」と父が言いましたが私は「そんなものにお金をかけるくらいならファミコンのカセットを買ってよ」と言うのをグッと堪えたものです。でも友達が羨ましがるので、私にとって自慢の塀になりました。

 小六のころです。父は勤めていた会社を辞めました。「どうして辞めたの」と聞いても「いろいろあるんだよ」としか言ってくれませんでした。今の私は、その時の私をデコピンしてやりたい気持ちでいっぱいです。その頃から父はお酒の量が増えたような気がします。でも何か吹っ切れたようで、居酒屋に修行に行ったり、カレーハウスを始める計画を立てたりしました。カレーハウスのときは私がカレー大好きということもあり父よりむしろ私のテンションのほうが上がっていました。父がカレーの研究を重ねいよいよ家族に食べさせるときがやってきました。私はウキウキして一口目を食します。とてつもなくまずかったです。私と妹は率直にまずいと言いましたが、母は顔を引きつらせながら「健康には良さそうね」とか適当なことを言っていました。大人ってすごいと思いました。私は「まずい!でも体にいいよ!」という子供らしい適当なキャッチコピーを連呼すると父が泣きそうになったのでやめました。それから父は凝りもせず何回か挑戦しましたが何回食べてもまずかったです。今こうして書いていたらその時のまずさが蘇ってきましたよ。父はカレーをあきらめました。結局、何の縁か分かりませんが自営で車の部品を作る仕事を始めました。「5年後には株式会社にするぞ」と意気込む父に、私は「すげー」と子供ながら調子を合わせていました。

 私もいっぱしに人を好きになったりしました。その娘とは仲良くなりまして、それで、うちに遊びに来るというのですよ。その日はダッシュで家に帰りました。部屋を綺麗にするためです。父はしばしば昼間から酒を飲んでいました。その日はちょうどその日でした。父は酔っ払って廊下で寝ていました。あ〜ぁ・・・。「お父さん、起きてよ、友達が来るのだよ」と言っても動きません。しつこく体をさすっていると、「ああ・・、悪い、悪い・・」とゆっくり立ち上がりました。父は大きかったです。私は立ち上がった父を見上げて「ちゃんとしててよね」と言いました。父を見上げることが出来たのは、この時が、最後でした。父はゆっくり私の膝元へ崩れ落ちました。
(つづく)



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2013年09月08日

【自己紹介】小学生のぼっち君1

 私の父は柔道をしていて高校の県大会では優勝したとか言っていました。私が疑いの目を向けると父は「これを見てみろ」と古い白黒の写真を見せてきました。父が右足を上げて仰向けで寝転がって、その上に対戦相手が覆いかぶさらんとしている図がありました。「お父さん負けているじゃない」と言うと「素人にはそう見えるかもしれんが、それは巴投げというのだ」「巴投げ?」と首を傾げると、父は私をつかまえて「とりゃ〜」と巴投げをかけてくれました。母は「食事中なのに行儀が悪いわねぇ」と父に言いました。妹もなんだかそんなことを言いそうな顔をしていました。小四のとき父は私に柔道を教えると言い出しました。毎週木曜日の夜、十二畳の家の和室が道場代わりです。私は見たいアニメがあるから本当は嫌でした。長くは続きませんでした。私には根性がないのです。母も「畳がつぶれるから」と嫌がってました。父は引くに引けない様子でしたが、とうとう私が右足の小指を怪我したのをキッカケにやめになりました。つぶれた畳はずっとそのままでした。

 一応、自分の部屋を持っていました。私は自分の部屋にいることは殆ど無く、殆どはテレビのある居間で家族と過ごしました。遠足で買ったペナントを貼るときだけ自分の部屋に入ります。「筑波山」「大洗」「つくば科学万博」という輝かしいラインナップが並びました。寝るときは寝室で家族皆んなで雑魚寝です。自分の部屋で寝ることも殆どありませんでした。ぐうたら小学生が突然メガネをキラリとさせて勉強のやる気を見せ、猫型ロボットを仰天させるくらいの頻度で、自分の部屋で寝ようと決心することがありました。自己の芽生えです。しかしできません。小学生の間はずっとできませんでした。ライオンのせいです。
(つづく)



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