中学高校を無難にこなし、とある地方の大学に進学しました。その地方を選んだ理由は二つありました。一つは東京には魔物が住んでいると信じていたから。もう一つは、そこが、かつて私が住んでいたあの場所に程近かったからです。大学生の私は、それなりに勉強もし、それなりに友達もでき、それなりにぐうたらでした。外にはあまり出歩かなかったです。私の友達連中は買った、否、買ってもらった車でいろいろ出かけたりしていました。当時心霊スポットを探索するのが流行っていました。誘われましたが私は車酔いが激しいからと言って断っていました。決して怖いとかそんな理由ではありません。
私の主な移動手段は自転車でした。それは私が高校時代に使っていたハンドルがカマキリのような形をしていて通称カマチャリと呼ばれていた類の自転車でした。大学に入ってからも乗り続けました。いつでも一緒でした。ただ残念ながら、ハンドルの付け根がグラグラするし、ペダルを漕ぐとカチカチと音がするから、乗り心地は最悪でした。そんな可愛い相棒に名前をつけてやろうと思いました。ちょうど実家からメロンが送られてきましたよ。メロンの箱には”ホームランスター”と書いてありました。メロンの名前としてはどうかと思いますがなかなかパンチが利いているではありませんか。これこそ大好きな可愛い相棒にふさわしい名前だと思ってしまいました。
ホームランスターに乗ってある場所へ出かけました。田舎の国道をとにかくまっすぐ進み、私もホームランスターも涙目になったころ、何も目印の無い、でも見覚えのあるところを左に曲がり、砂利道をホームランスターが悲鳴をあげながら駆け上がりました。ホームランスターが泣き止んだあたりでそれはありました。そうあったのです。すでに所有権はうちには無いことは知っていました。とっくの昔に取り壊されているものだと思い込んでいました。
遠目からは昔と変わりないように見えましたが、ホームランスターをレンガ塀に寄りかからせ、歩み寄って見ると違いました。そのレンガ塀にはたくさんの落書きが寄せられていました。おそらく暴走族さんたちの仕業でしょうか。「○○連合参上!」、「△△殺す!」などの誰に伝えたいのか良く分からないメッセージや、ここには書けないような卑猥な言葉(ご想像にお任せしますが、ご想像頂いたら、だいたいそれで間違いありません)までありました。建屋の外壁にはところどころハンマーで殴ったかのようなヒビが入っていました。そのヒビは蜘蛛の巣のように見えました。窓は全部割られていて崩壊学校よろしくです。当然人が住んでいる気配はありません。玄関には扉がありません。その”玄関”から中に入ってみました。所有権はうちにはないので立派な不法侵入です。長い廊下はテレビゲームのように穴が空いていました。落ちてみたところで別世界に行けるわけでもないのだから、穴を避けて、部屋を見て回りました。
見なければ良かった、というのが第一印象でした。かつて父母私妹が住んでいた面影はまるでありません。柔道場代わりの和室は、なぜか畳が全部はがされていて、隅に立てかけられていました。腐って変色した畳からは嫌な匂いがしそうでした。皆で過ごした居間は、茶一色でした。何もありませんでした。床もありませんでした。土台がむき出しで下には土が見えました。土から生える草さえも茶色く枯れていました。台所も似たようなものでした。ただ、ステンレスの流しが残っていたおかげで知らない人でもそこが台所であったと判断できるでしょう。階段にもところどころ穴が空いています。登ろうとしたのですが、危ないからやめて帰ることにしました。帰りはいつも以上にペダルの漕ぎ心地が悪かったです。
きれいさっぱり取り壊されていたほうがまだ良かったです。ああいう風に中途半端な形で在るのは忍び無いと思いました。すべてが夢の跡と簡単に忘れられるでしょうか。私はあの家を少しでもいいから綺麗にしようと決めました。とにかくあの塀です。ここには書けないような、あんな言葉やこんな言葉が書かれている塀。もし母妹が見たらどれだけ落ち込むことか。まずは塀の落書きを消そうと決意しました。ちょっと考えて、消すのは大変だから上塗りして隠そうと妥協しました。ホームセンターで似たような色のペンキを買いました。
次の日は授業そっちのけでホームランスターに乗ってあの家へ向かいました。塀は建屋をグルッと囲むようにあります。落書きは塀の外向き側と内向き側の両方に結構まんべんなくあります。落書きのある箇所を豪快にペンキで塗りつぶす。微妙な色の違いがあるため違和感は否めませんがまあいいでしょう。綺麗にして一体何になるのなんて聞かれたとしてもそんなの理屈じゃありませんと答えるしかなかったでしょう。朝から夕方までかかって忌まわしい落書きを全て消しました。人生で一番頑張りました。誰か褒めてください。やっぱりいいです。
明日は何しよう。いちばん目障りな塀の落書きは消した。建屋を直そうか。ひとりじゃあ無理だな。友達を誘おうか。メロンが余っているな。メロンを餌に友達を釣るか。できる限り頑張ろう。いつか母妹に見せてやろう。そしたらどんな顔するだろう。
メロン片手に友達の家に行きました。すると友達の彼女も居るではないですか。込み入った話はやめて、友達にギターを教えてもらうことにしました。相変わらずFのコードに苦戦します。涙目です。そんな私を慰めるかのように友達カップルは二人で行ったドライブの話をしてくれました。心霊スポットに行ったそうです。そこはお化けペンションと呼ばれ、地元では有名になりつつあるそうです。話はさらに進み、なんでもそこがテレビで紹介されたというのです。バラエティ番組の企画で、心霊能力者とタレントたちが、心霊スポットを探検するというものです。友達カップルは、その番組で、こんな風にレポートされていたと教えてくれました。
目的地に向かう途中の森のざわめきに早くもおびえるタレントさん。
塀と建屋の雰囲気が不気味という一同。
「この家には悪霊が取り付いている」と能力者さん。
畳の染みが心霊写真のように見えたとタレントさん。
穴だらけの急な階段を登ったところで気分が悪くなり「ここから先は危険だ」と能力者さん。
物音がして大慌てで外に出ようとして廊下の穴にはまるタレントさん。(友達カップルはここで”大爆笑”したそうです)
結局、その日もFのコードはまともに鳴りませんでした。技術の無さとかそんなのが理由です。明日は何しよう。
私は社会人になりました。たまに実家に帰るとみんなで父に会いにいきます。父は二度と自力では立ち上がれない体になってしまいましたが、意識はハッキリしているし、私に会うと嬉しそうな顔をしてくれます。その顔色は私の青白いそれよりかは遥かに健康的です。父に会うと私の中の頑張り星がきらめくのですが、次の日には忘れてしまうのが私のいけないところです。
(おわり)
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