田舎でしたが近くに他の人の家はありました。国道を挟んで向こう側にありました。学校の友達も住んでいました。友達の家に行くには国道を横切れば近いのですが、百メートルくらい先にある信号を渡らなければいけませんでした。母にそう誓約させられていたのです。おっくうで嫌でした。そこで仕方なく、私は家にいて、友達から遊びに来てもらうことが多かったです。友達は「この家、うちのほうの家とはなんか違うよね」とよく言っていたものです。その"なんか違う"を一番象徴していたのが、塀です。レンガの塀が家の周りをグルッと囲んでいたのです。私が小五のころできたものです。「百万円かかった」と父が言いましたが私は「そんなものにお金をかけるくらいならファミコンのカセットを買ってよ」と言うのをグッと堪えたものです。でも友達が羨ましがるので、私にとって自慢の塀になりました。
小六のころです。父は勤めていた会社を辞めました。「どうして辞めたの」と聞いても「いろいろあるんだよ」としか言ってくれませんでした。今の私は、その時の私をデコピンしてやりたい気持ちでいっぱいです。その頃から父はお酒の量が増えたような気がします。でも何か吹っ切れたようで、居酒屋に修行に行ったり、カレーハウスを始める計画を立てたりしました。カレーハウスのときは私がカレー大好きということもあり父よりむしろ私のテンションのほうが上がっていました。父がカレーの研究を重ねいよいよ家族に食べさせるときがやってきました。私はウキウキして一口目を食します。とてつもなくまずかったです。私と妹は率直にまずいと言いましたが、母は顔を引きつらせながら「健康には良さそうね」とか適当なことを言っていました。大人ってすごいと思いました。私は「まずい!でも体にいいよ!」という子供らしい適当なキャッチコピーを連呼すると父が泣きそうになったのでやめました。それから父は凝りもせず何回か挑戦しましたが何回食べてもまずかったです。今こうして書いていたらその時のまずさが蘇ってきましたよ。父はカレーをあきらめました。結局、何の縁か分かりませんが自営で車の部品を作る仕事を始めました。「5年後には株式会社にするぞ」と意気込む父に、私は「すげー」と子供ながら調子を合わせていました。
私もいっぱしに人を好きになったりしました。その娘とは仲良くなりまして、それで、うちに遊びに来るというのですよ。その日はダッシュで家に帰りました。部屋を綺麗にするためです。父はしばしば昼間から酒を飲んでいました。その日はちょうどその日でした。父は酔っ払って廊下で寝ていました。あ〜ぁ・・・。「お父さん、起きてよ、友達が来るのだよ」と言っても動きません。しつこく体をさすっていると、「ああ・・、悪い、悪い・・」とゆっくり立ち上がりました。父は大きかったです。私は立ち上がった父を見上げて「ちゃんとしててよね」と言いました。父を見上げることが出来たのは、この時が、最後でした。父はゆっくり私の膝元へ崩れ落ちました。
(つづく)
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